世間の感触

穏やかな人が世間に向けた赤裸々な日記

「無」そして「零」

「零」が漢字文化圏に存在をしていなかった頃、まさに「無」が「零」の役割を果たしていた。
すなわち、対象を逐一規定しない「ゼロ」としての働きを備えていたというものである。
現在はその意味を備えつつ対象の否定、「有」の対義語として存在意義が強く残っている。
しかしながら、浸透加減からすれば「無」は本来の「否定」という意味合いよりも、「ゼロ」、「何も無い」という意味合いとして後世に継承されているのが現実的と言えるのかもしれない。
前世、人は「無」に対してどの様な感情を抱いていたのだろうか。
それを導き出すには時間だけでなく、枝葉分かれる相当な意見を聞き入れる必要が出てくるのであろう。
しかし「無」は一般的に無い物としての認識、扱いとしての意味合いが強いのだから、最終的なゴール地点は似た様なものなのかもしれない。
私の考える「無」は、人間界で起こっている「身分」という惨い線引きを気にする事なく、また生命として生きるか死ぬかの鬼気迫る思いをしなくても良いというある種「気楽」な世界を短絡的に想像しているのだけれども、そうなればこういった考える事をしなくてもいいのだから、一見「つまらない」という感情や「無責任」といった感情を抱く人が出てくるかもしれないが、それが「無」という事なのだから、肯定や否定といった概念よりかは当人が好きか嫌いかの問題の方が適切ではないかと思っている。だからまぁ、私の「短絡的」に「気楽」と考えてしまった雑念自体、大きな間違いであると訂正しておいた方が良いのかもしれない。
しかし、「無」という概念は人間から見た概念であって、本質はどの様なものなのかという所では、まだまだ知らない事の方が多い気がする。寧ろ、人間の都合の良い様に定められた一定の基準にしか過ぎないのだから、今考えている事が正しいという確証は誰にも宣言できない筈だ。だからこそ、「無」に対して興味が沸きロマンを感じるのかもしれない。
先に述べた人間界の「身分」という惨い線引き、即ち「奴隷」や「捕虜」等と言った類。奴隷に至っては「運命のいたずら」という身勝手な言い訳で片付けられる事もしばしばあるのだけれども、そもそも人間が作ってしまった「身分」が管理者の行き届かない所で過激化し、「奴隷」というある種「身分」を作り出してしまったという考えを私は持ってしまっているのだけれども、その身分のせいで自由を奪われ苦しみを日常として捉えてしまっている問題を表面化すればする程に人間社会の闇を見続けていく、そんな恐怖にさえ陥る。
そして宗教的な言葉で言えば「輪廻転生」という恐ろしい言葉が独り歩きする事で、人間社会に蔓延る「身分」が私達の生まれ変わりによる自由を奪っていく。
生まれ変わりの先は選べないから、身分も選べない。そもそも、「身分」という概念が生まれてしまったのは人間が「心」を宿してしまったから。
それは、人間が過度な「知識」や「意思」、「感情」を抱いてしまったが故に、問題が表面化した所で解決に至らないというある種厄介な存在なのかもしれない。
嫌な事ばかり考えれば、そういった事になっていくのだろうと感じている。
こんな事を日夜考えるのは、その身分について事細かく調べているジャーナリストや研究者以外いないのかもしれない。そしてそれは撲滅をする為の民主主義的運動によって、アフリカ、中東諸国によって「春」を夢見て戦いを続けている事に他ならない。
そういった「希望」を持てれば、生きていく上での糧となり、原動力に繋がっていく事になるのかもしれない。しかしながら、「希望」というのは「絶望」という言葉の裏腹にしか過ぎないという事を念頭に置かなければならない。だからこそそれを如何にして現実の一部としていけるかどうかが「希望」という事になるのであろうとも感じる。
人間のことばかり言ってしまったけれども、生けるもの「生命体」として存在する限り、その一つ一つに感情というものを抱く訳なのだから、「それを尊重してくれる様な世界が実現される様、行動を共にする。」という綺麗事を並べるよりも、私は「無」になるという事の方が人間らしく、また生命体らしい在り方であると考えている。
「無」が選択できるのか、はたまた「輪廻転生」が正しい考え方だとするならば、それはランダムで、というよりも誕生の時点での「有」か「無」かの選択だったとするならば、それはもう諦めの念を抱いた方が良いのではなかろうか。
考えれば考える程に途方もないテーマだけに、ただただ時間だけが過ぎていく。
概念の本質を突けない以上、独りで考えるテーマとしてはかなり壮大な物語になっていく。恐ろしくも面白いテーマにこれ以上考える術はボクには無いし、恐らく考えがガラリと変わるという事も到底無いものであると考えている。
こんな事を真剣に考えたのは、深夜にやっていたアニメを見て、その惨い仕打ちを受ける奴隷が運命によって自由になるまでのお話で、30分の間に描かれていたその内容が只事では無いのだろうなと、淡々とテレビを見ていた訳なのです。
正直あの30分は、語り尽せないアニメの内容と、ボクの考えが交錯した30分でした。
「無」に対しての意見、もしあれば教えて頂けますか?
と最後に書き残しておきます。



シロロン