世間の感触

穏やかな人が世間に向けた赤裸々な日記

時代の追体験

日が沈む方角に、日本は目を背けてはならない。

機嫌取りで日が昇る方角だけ目を向けて、気付けば「陰」に対して背を向けている。

あくまでも、日本を主軸に見た時の表現だが、中韓露、所謂、「極東」に対して、日本は目を背けている様なそんな気がした。

 

多くを知っている訳では無いけれど、かつて北海道の管轄であった樺太に数多の戦士が駐屯していた。戦後も引き返す事無く、むしろ現地は戦火が激しさを増していた。

引き返したくても引き返せない状況だった。

 

血涙を流した戦士が、樺太の地で最後を迎えた。

 

追体験をしようとしても、当時の激化してた頃をそう簡単に自分の体験として刻み込む事は到底出来ない。

爆撃の音、銃撃戦、眼下に広がる色を失った世界。恐ろしき世界。

樺太のみならず、沖縄地上戦、東南アジアの諸国の激戦、祖国や遠い異国で命を落とした戦士の追体験は、決して容易く紡げる物では無ない。

しかし、私たちはそういった数々の事実を、写真や音声、映像として記憶に刻み込み、持てる想像力を最大限活かして、継ぎ接ぎの追体験をしていくのだ。

知識や経験を蓄えても、想像力を養い、育てても、当時の事実を細部まで追体験する事は、もはや超人でさえも成し得ない所業であろうと思う。

それでも私たちは追体験をしていく必要があるのだろうと思う。

意識の持ち方に変化を齎し、それが行動へ移った時、次世代の継承という形で実現していく訳なのだから。

今も尚、当時の資料や写真が続々と出る中で、自分の描く世界観が徐々に変化をしだしている。今と昔、環境は違えど同じ考え、気持ちを持つ何ら変わり無い人々の姿が、その時代には存在していた。次世代への継承に於いて、ここの部分が実に重要な意味合いを持つか、それによって次世代が感じる「戦争」への見方が変わってくるに違いない。

 

あと1年で「平成」が歴史となり、「昭和」が近現代から近代へと移り変わってゆく。

そして、「昭和」という時代が「戦前」「戦後」という分け方から一色たんの意味合いへと変化してしまうんではなかろうか。それこそが、「記憶」に於ける風化と齟齬で、次世代の「昭和価値観」を大いに狂わせる。。

今はならないにしても、いつの日か「昭和」が完全な「歴史」へと変化した時に、どれだけの人が追体験を元に語れるか、その真価が問われる。